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南無阿弥陀仏の意味とは?唱える理由から念仏の種類や宗派ごとの唱名まで分かりやすく解説

南無阿弥陀仏の意味とは?唱える理由から念仏の種類や宗派ごとの唱名まで分かりやすく解説

「南無阿弥陀仏」は葬儀や法事法要で僧侶が唱える念仏の一つですが、聞いたことがあってもその意味は分からないという方も少なくありません。そこで本記事では、南無阿弥陀仏の意味と葬儀や法要で唱える理由、念仏の種類や宗派ごとに異なる唱名まで詳しく解説します。

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南無阿弥陀仏の意味とは?

木魚

日本では葬儀や法要で、僧侶が念仏を唱えることが多いです。その際によく耳にする「南無阿弥陀仏」にはどのような意味があるのでしょうか。まずは、南無阿弥陀仏の意味を分かりやすく解説します。

南無阿弥陀仏の意味は「永遠の命をもつ仏様を信じておまかせする」

南無阿弥陀仏とは、仏教で唱えられる念仏の一つです。主に、浄土宗や浄土真宗、天台宗などで唱えられています。

仏教はインドから伝わった宗教で、お経の読み方は古代インド語のサンスクリット語に由来します。本来のサンスクリット語に似ている読み方の漢字が当てはめられており、漢字自体には意味がないものが多いです。

南無は「ナマス」や「ナモー」と発音されている「namo」を音写したものです。礼拝や敬意を表すときに使用する言葉で、「帰依する(尊敬する、おまかせする)」という意味があります。

阿弥陀は「アミターユス」と「アミダーバ」の二つの言葉が由来で「果てない光、無量の命」を表しており、二つを合わせて「永遠の命」という意味になります。仏は「ブッダ」が語源の悟りを開いたものを表す言葉で、「仏様」を意味します。そのため南無阿弥陀仏は「永遠の命をもつ仏様を信じておまかせする」という意味になります。

「なもあみだぶつ」と読む場合もある

南無阿弥陀仏は、多くの場合「なむあみだぶつ」と読まれていますが、一部では「なもあみだぶつ」と読む場合もあります。

これは、浄土真宗本願寺派の開祖である親鸞(しんらん)が、南無阿弥陀仏をサンスクリット語に近い発声で読んでいたため、修行している僧侶が親鸞に倣って、「なもあみだぶつ」と読むようになったとされています。

葬儀や法要で南無阿弥陀仏を唱える理由

合掌

南無阿弥陀仏の意味は分かりましたが、なぜ葬儀や法要で僧侶が南無阿弥陀仏と唱えるのでしょうか。ここからは、葬儀や法要で南無阿弥陀仏を唱える理由やその効果について解説します。

心の落ち着きを取り戻すため

南無阿弥陀仏を唱える理由とは、心の落ち着きを取り戻すためとされています。悲しいことや辛いこと、気持ちが暗くなってしまうようなことが起きたときに、南無阿弥陀仏を唱えることによって、平常心を保てるとされているのです。

過去に行った悪行を軽減するため

南無阿弥陀仏を唱えると、過去に行った悪行を軽減するとも言われています。過去とは、現世の自分の過去だけでなく過去世(前世)のことも指し、その悪行も軽減するとされているのです。信心という支えによって、自分に自信を持つこともできると言われています。

仏様へのお礼のため

南無阿弥陀仏を唱えたことによって心の落ち着きを取り戻し、悪行が軽減されると言われています。そのため、苦しんでいた人生が明るい方向へと転換するため、仏様へのお礼の意味を込めて唱える言葉でもあるのです。

南無阿弥陀仏と唱える念仏の種類

お坊さん

ここまでは、南無阿弥陀仏の意味を解説してきました。念仏は本来「自力念仏」と「他力念仏」の2種類があります。ここからは、その二つにはどのような違いがあり、どんな使い方をするのかを解説します。

自力念仏

自力念仏とは、阿弥陀仏の本願の力に頼らず、自分の力で往生を得るという心で唱える念仏です。仏教で教えられる「無明の闇(むみょうのやみ)」を破るために、葬儀や法要で南無阿弥陀仏の全文を唱えます。無明の闇とは、人が持つ暗い心のことを意味します。

南無阿弥陀仏のお経を唱えることで無明の闇を破ることができ、本当の幸せが得られるとされています。

特に、真言宗や天台宗は厳しい修行をしたり戒律を守ったり、祈りをささげたりといった行為を通し、自力で悟りを開く「聖道仏教」に分類されています。

他力念仏

自力念仏は自分の暗い心を取り除くために唱えますが、他力念仏は仏様へのお礼という意味がある念仏です。南無阿弥陀仏を唱えることで無明の闇が破れて、暗い心がなくなり幸せになるため、お礼を言わずにいられなくなるとされています。

浄土宗や浄土真宗は阿弥陀如来の慈悲により成仏をし、極楽浄土に行くという他力である「浄土仏教」に分類されます。

南無阿弥陀仏以外の念仏

ろうそく

念仏にはさまざまな種類があり、使い方や意味が異なります。主に、法身念仏・観念念仏・唱名(称名)念仏・臨終念仏の4つに分類されます。それぞれの違いを見ていきましょう。

法身念仏(ほっしんねんぶつ)

法身念仏とは、仏の理法を唱える念仏です。法身念仏は仏教の教えを理解し、その念仏に基づいて生活をすること、または修行することを指しています。

観念念仏(かんねんねんぶつ)

観念念仏とは、仏様の相好や浄土の様子を心に思い浮かべることです。特に、浄土宗や浄土真宗では、阿弥陀仏の姿や功徳、浄土の具体的様相まで想起する修行の一つとされています。

唱名念仏(しょうみょうねんぶつ)

唱名念仏とは、仏様の名と帰依を唱える念仏です。一般的に念仏と呼ばれているのが唱名念仏のことで、仏様の姿や徳を心に思い浮かべ、実際に仏様の名を口にして念じます。

浄土宗や浄土真宗においては、念仏を唱えることで浄土へ導かれるとされているため、南無阿弥陀仏と信者は熱心に念仏を唱えているのです。

臨終念仏(りんじゅうねんぶつ)

臨終念仏とは、亡くなる直前に唱えられる念仏のことです。死後に浄土へ導かれることを願う一環として、仏様の慈悲を得るための機会とされています。浄土宗や浄土真宗においては、とても重要視される念仏です。

宗派ごとに異なる唱名

お経

唱名とは、仏様を心に念じて、その名を声に出して唱えることです。仏教の中でも宗派によって仏様が異なるため、唱名にも違いがあります。

南無は、尊敬する、おまかせするといった意味があり、南無の後が各宗派の仏様の名前を表しています。ここからは、それぞれの宗派と唱名を解説します。

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)

南無阿弥陀仏は、浄土宗や浄土真、天台宗などで唱えられています。仏様への敬意を表し、信じておまかせするという意味とともに、極楽浄土へと導くとされる阿弥陀如来への感謝を表す言葉でもあります。

浄土宗においては、南無阿弥陀仏を10回唱えることを必要とする「十念(じゅうねん)」と呼ぶ作法があります。また、浄土真宗は他の宗派と異なり、厳しい修行を必要とせず、出家という概念もありません。

南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)

南無妙法蓮華経は、日蓮宗などで唱えられています。妙とは真理、法は釈迦の教えを意味しており、蓮華経とは釈迦の教えが記されている経典を指します。つまり、南無妙法蓮華経を日本語に訳すと、お釈迦様の教えを信仰するという意味になるのです。

日蓮宗の葬儀や法事法要では、僧侶が南無妙法蓮華経を何度も繰り返し唱えます。

南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)

南無釈迦牟尼仏とは、臨済宗や曹洞宗など禅宗の一派で唱えられています。

禅宗では、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経と異なり、座禅による悟りに重きを置いているため、念仏を繰り返すことを必要としません。禅定(ぜんじょう)と呼ばれる座禅の修行で、一切の雑念を払って悟りを開く瞑想を行います。

南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)

南無大師遍照金剛は、真言宗で唱えられています。大師は菩薩様や仏様への敬称で、遍照金剛とは、唐で厳しい修行と努力を重ねた空海が、恵果和尚(けいかかしょう)から授かった灌頂名(かんじょうめい)のことを言います。つまり、遍照金剛は弘法大師空海を表しているのです。

また、大日如来(だいにちにょらい)は、遍照金剛の別名と伝えられていました。大日如来とは、真言宗の最高位に当たる仏様のことです。そのため、遍照金剛を念仏で崇めるということは、「弘法大師空海に帰依する」という深い信仰心を示します。

南無阿弥陀仏の意味を知り宗派に合った唱え方をしましょう

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まとめ

  • 南無阿弥陀仏の意味は、永遠の命をもつ仏様を信じておまかせする
  • 念仏には自力念仏と他力念仏がある
  • 南無阿弥陀仏以外にも念仏には、法身念仏・観念念仏・唱名(称名)念仏・臨終念仏がある
  • 宗派によって崇める仏様が異なるため、それぞれの唱名がある
  • 南無阿弥陀仏と唱えるのは、浄土宗・浄土真宗・天台宗など
  • 南無妙法蓮華経と唱えるのは、日蓮宗・日蓮正宗など

南無阿弥陀仏は、永遠の命をもつ仏様を信じておまかせするという意味です。主に浄土宗や浄土真宗、天台宗などの葬儀や法要で、僧侶が南無阿弥陀仏の全文を唱えます。宗派によっては崇める仏様は異なり唱名が異なるため、この記事を参考に自分の宗派に合った唱え方をしてください。

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