【いとうあさこさん特別インタビュー】笑顔が生まれる最期

お笑いタレントとして、幅広いジャンルでユニークなキャラクターを発揮するいとうあさこさん。今回は、日々の生活や芸人としての仕事について、そして最期を迎えるときの想いを語ってくれました。
焚き火が好きだった
——普段は、どのような生活を送っていますか?
基本は仕事漬けです(笑)。ただ冬限定ですが、年に数回キャンプに行きます。そのきっかけは、コロナ禍の2020年に出演したキャンプを教わる番組。そこで火打ち石を使って火をつけたんです。とても難しく30分くらいかかりましたが、なんとか火がついたとき、「私、焚き火が好きだった」という記憶がよみがえったんです。
——焚き火の記憶とは?
2001年に『進ぬ!電波少年』という番組で半年間、無人島で生活をいたしまして。過酷な毎日の中、私の心を穏やかにしてくれたのが、夜の焚き火でした。それを思い出したんです。
みんなが寝静まったあと、一人で海岸に座って焚き火をしながら星空を眺めたりして。「星明かり」という言葉があるのを初めて納得したほど、光のない島で見る星は明るく美しかったです。
当時はもちろんなかったお酒もプラスして、今はただシンプルに〝火・星・酒〟を静かに楽しむ、そんな冬キャンプをしています。
お笑いと共に終える

——芸人としてのご自身をどのように見ていますか?
お笑いの世界に足を踏み入れ、今のようにテレビに出していただくようになるまで、14年かかりました。それ以前はよく、「テレビでは売れないよ」と言われました。あんまり言われるので「そうなんだ」と受け入れていました(笑)。
でも地道にネタを作って、ライブに出て。目の前のお客様たちが笑ってくださっているだけで、十分にうれしく、楽しかったです。
——テレビで受け入れられたきっかけは何だと思いますか?
一番大きいのは『タッチ』の浅倉南のネタですかね。ただ、このネタも最初は、テレビ番組のオーディションで落とされていました。「“イライラする”という表現は、ネガティブな響きでよくないね」とか言われて。それがとある大規模イベントで、このネタで大爆笑をとったんです。それを見ていたプロデューサーが「ごめん。ウケるんだね」と(笑)。そこから少しずつテレビに出していただくようになりました。
ただ本当に“普通のおばさん”としてやってきましたから。まさか今のように海外とかでいろんなことをして、そのリアクションで笑ってもらえるようになるとは思っていませんでした(笑)。
——印象に残っている仕事はありますか?
以前にイギリスでの仕事で海に飲まれたことがありまして……。天候がとても悪く、海も荒れていたのですが、目的地は荒波の向こうにある浸食でできた岩穴でした。本来なら、その岩穴からきれいな太陽が見える絶景スポットだったのですが、その日はかなりの荒れ模様。それでも岩の近くまで行ってみようという事で、何度も波に飲まれながら進みました。
後日、その番組を見た男性からお手紙をいただきました。その方はずっと仕事にも行けず、家の中にこもり、笑うこともなくなっていて。ところが、私が荒波に揉みくちゃにされている様子を見たとき、そばにいた奥さまから「笑ってるじゃない」と声をかけられたそうです。そこで初めて、自分が笑っていることに気づき、「まだいける、と思えました」と綴られていました。
そのお手紙を読んだときは、もう大号泣でした。イギリスで一人のおばさんが荒波に飲まれた出来事が、そんなふうに誰かの心に届き、救われたと感じてくれた。そのことが本当に励みになりました。
——芸人としての最期は、どのように考えていますか?
最期までかはわかりませんが、とにかくただただ一生懸命やり続けるのみ、です。それがネタなのか、お喋りなのか、文章なのか、これまたリアクションなのか。どういう形かは、結局見ている方が決めることだと思うので、自分ではわかりませんが、出来たら最期まで“笑い”の中にいられたら素敵だなと思います。
失敗も自分という生身の一部

——芸人としての自分はストイックだと感じますか?
ストイックというよりは、ただ“一生懸命”なだけかも。結局のところ、何をするにしても自己責任。例えば自分で思った事を言って叩かれたとしても「自分はそう思ったから」とはっきり言えますが、もし人に言われた事を思ってもないのに言ったら、人から何を言われても「あの人に言えって言われて」なんて言えないし、何にも出来ないですから。
——芸人として、芸道を極めるという感覚はどのように考えていますか?
そんなことは考えたこともありません。おこがましいです。もう一度言いますが、とにかくただただ“一生懸命”にやるのみです。でもお笑いのいい所はケガしたり、失恋をしたりしても、なんでもいい。それを“笑い”にできればこっちのもんというか。もうドキュメンタリー。全部ひっくるめてみなさんにお見せできたらいいですね。
——その想いを形にする瞬間を教えてください。
年に一度だけ、単独ライブを行っています。そこでは全身全霊でやりきるので一回公演のみ。すべてを出し切って、最後緞帳が下りるのと共に倒れ込んでいます(笑)ホント、ドキュメンタリーで「この1年を生きてきた私を見てください」って感じです。
棺の中の優しい顔
——ご自身の最期について考えることはありますか?
例えばですが、最期、近所の子どもたちが私の寝床の周りに集まりましてね。私が言うんですよ。「みんな、よく聞いてね。言い忘れていたけれど……来週の水曜日に……」で、息を引き取る。子どもたちは「あさこばあさん! 水曜日って何!?」と大騒ぎ。
でもお通夜とかで「結局あさこばあさん、本当は何もなかったんだよ、絶対」とか言いながらみんなで笑ってくれたりしたら最高。まず集まってくれる近所の子を探さないと、ですけどね(笑)
——ご自身の最期の瞬間は何を考えていると思いますか?
自分がこの世を去るとき、「ありがとう」という気持ちでいっぱいになっていたらいいな、とは思いますね。50歳を過ぎて、今まで以上に“ちゃんと”一人じゃない、と感じるようになりました。友人、知人はもちろんのこと、何か買ったらレジ打ってくれる人がいて。もしくはそれを作った人もいて。なんならそれを買いに行くまでの道を作った人も、なんて考えていったら、めちゃくちゃたくさんの人の中に自分はいるな、と。だから最期は心からの「ありがとう」だといいですね。
——『ひとたび』を読んでくれた方にメッセージをお願いします。
これまでに多くの“最期”を目の当たりにしてきました。その中で思い出す、祖父との別れ。祖父は本当に優しく、叱られた記憶がまったくないくらい。そんな祖父が最後の数日、何が理由ということもないのですが、ただただ怒っていたんです。
私は「きっと人には“怒る量”が決まっていて、おじいちゃんは今、全部出しているんだな」と思いました。そしてそんな祖父も、棺の中ではやっぱり、とても優しい顔をしていました。
私も最期はそんな顔でいたいです。すぐ眉間にしわを寄せちゃうので、棺に入るときに「いとうさんの眉間のしわ、いくらやっても伸びませんね」なんて言われないようにしたいものです。
プロフィール
いとうあさこ
お笑いタレント。東京都出身。1997年にお笑いコンビ「ネギねこ調査隊」を結成し、2003年まで活動。その後はピン芸人としての活動を本格化させ、独特なキャラクターとユーモアで注目を集める。日本テレビ系の『世界の果てまでイッテQ !』をはじめ、多くのバラエティ番組に出演。現在はテレビやラジオを中心に活躍し、幅広い世代から支持を得ている。