風葬とは?日本での歴史ややり方、現代でも行われている地域を紹介
風葬は古来から世界各地で行われてきており、その地域の文化や死生観が反映されているのが特徴です。日本でもかつては行われていた地域が多くありましたが、現代では特定の地域でのみ行われています。この記事では、風葬の意味ややり方、日本での歴史について解説します。
風葬とは
風葬(ふうそう)とは、自然の力にゆだねて故人を弔う葬法です。ご遺体を火で焼いたり土に埋めたりせずに、自然の中に安置し、雨風や鳥獣によって自然に還すという特徴があります。ここでは、風葬の意味や土葬・火葬などとの違い、風葬が選ばれてきた理由について解説します。
風葬の考え方
風葬とは、「人は亡くなった後、自然へと戻るべき存在である」といった思想に基づいて行われます。雨風や鳥獣などの自然の力にゆだねることで、ご遺体は時間をかけて土へと還っていきます。
風葬が行われてきたのは、かつて自然とともに生きてきた人々の死生観も関係しているのです。死というものを終わりと考えるのではなく、「生命の循環の一部」と捉え、自然との共生や生命のつながりを象徴する文化的な営みでもあります。
土葬・火葬などとの違い
土葬とは、ご遺体を土の中に埋める埋葬方法です。火葬はご遺体を火で焼いて、骨にします。
これに対し、風葬は土や火を使わず、ご遺体を自然の中に安置して自然の力にゆだねて弔うのが特徴です。管理しやすさや処理の速さなどを優先せず、自然へ還る時間を大切にしているという違いがあります。
風葬が選ばれてきた理由
風葬が選ばれてきた理由は、地理や宗教などの背景も関係しています。山が多く土を掘るのが困難な地域や、火葬に必要な木材を手に入れにくい地域に風葬が適していたのです。また、墓地に適した土地が少ない地域でも、有効な選択肢でした。
また、「人は亡くなった後、自然へと戻るべき」「ご遺体にはあまり手を加えない方がよい」「ご遺体に触れることは穢れ」とする考え方や信仰なども影響しています。
特に鎌倉時代くらいまでは日本でも死を穢れとみなし、人の死に居合わせたり、亡くなった人に触れたりする行為は忌み嫌われていました。そのため、ご遺体を集落から離れた場所に安置することで、穢れを遠ざけ共同体を守ろうとした側面もあるのでしょう。
日本での風葬の歴史
日本での風葬は、縄文時代と中世から近代にかけてさまざまな形式で行われてきました。しかし、明治以降は火葬推進政策により衰退しています。ここでは、風葬の歴史について解説します。
縄文時代の風葬
縄文時代は、人々が暮らしの中で自然と共生しており、死は生命の循環の一部として考えられていました。そのため、亡くなったら自然に還り、再び生まれるという死生観があり、それを象徴するのが風葬です。
縄文時代、死は自然のサイクルの一部として捉えて受け入れられていたと考えられます。そんな風葬は自然にご遺体を安置し、自然の力にゆだねて弔う葬法で、縄文文化の価値観が大きく反映されているのです。
中世から近代にかけての風葬
縄文時代とは異なり、中世から近代にかけての風葬は、特定の地域や社会階層で行われていたとされています。
当時の風葬は、火葬や土葬などが困難な場所、信仰などによってその土地に根付いてきた葬法です。特に、山間部や土地の狭い地域、離島などで続けられていました。平地が少ないために土葬を行うのは難しいことや、火葬に使用する木材を手に入れるのは困難だったためであるといわれています。
また、信仰によっては死を穢れとみなすためという理由もあります。風葬を集落から離れた場所で行うことで、穢れを遠ざけたためです。
縄文時代の死生観とは異なり、社会的な事情や慣習によるものが強かったといえます。
明治以降に施行された火葬推進政策と風葬の衰退
明治時代に入ると、政府は衛生面を重視し「火葬推進政策」が施行されました。都市部を中心とし、人口が増加したため、墓地が不足したことや土葬による伝染病のリスクが懸念されたことも理由です。風葬はご遺体を自然の中に安置するため、非衛生的なものとして規制されるようになりました。
大正時代以降は風葬はほとんど行われなくなっています。ご遺体を自然に還すという葬送は衰退し、現在の火葬してから墓地に埋葬するという形式が定着していきました。
現代でも風葬が行われている世界の地域
日本では行われなくなった風葬ですが、世界の一部の地域では現在も伝統的な葬送として続けられています。ここでは、代表的な地域として「チベット仏教圏」「インドネシアの一部」「ボルネオ島」を紹介します。
チベット仏教圏
チベット仏教圏で行われているのは、「天葬(てんそう)」または「鳥葬(ちょうそう)」と呼ばれる風葬です。高い丘や山の上にご遺体を安置し、ハゲワシといった鳥に食べさせて自然に還すことで魂が自由になるとされています。
チベット仏教圏において、ご遺体は魂の抜け殻に過ぎません。そのご遺体をほかの生命体に与えることにより、輪廻転生を助けることに繫がるため、功徳を積むと考えられていました。
また、チベット高原は高地にあり、樹木が育ちにくい土地で火葬に使用する薪が手に入りにくいことや、土壌が凍っていて土葬が困難なことも風葬が定着した理由です。
インドネシアの一部
バリ島のトゥルニャン村で現在も行われている風葬は、ご遺体を竹やヤシの葉などで作られた囲いに安置し、自然の力にゆだねて自然に還す方法です。生前の写真や故人のゆかりの品物などが一緒にお供えされています。また、ご遺骨になった頭部は、墓地の出入口や祭壇に並べられているのが特徴です。
墓地は複数あり、亡くなったときの状況や年齢、婚姻状況で入る墓地が異なります。例えば、既婚で天命を全うした人と、未婚者や子供、事故や自殺などで亡くなった人とを区別しています。
一方、スラウェシ島のタナトラジャに住むトラジャ族が現在も行っている風葬も、自然との共生をする自然観に基づいている葬法です。崖や洞窟などに安置したり、ご遺体の入った棺を崖の上に吊るしたりして、自然に腐敗するのを待ち、その後洗ってからお墓に納骨します。
トラジャ族にとっての死は、亡くなった人の魂が天国へ向かう過程の一つという考えがあり、悲しいものではありません。お墓を守る存在として、故人の面影を写した人形「タウタウ」が置かれているのも特徴です。故人の魂が宿る存在として大切に扱われ、故人との繫がりを保つという死生観も伺えます。
ボルネオ島
東南アジアのマレー諸島に位置するボルネオ島に住むイバン族は一般的に土葬を行いますが、高い功績を収めた人物のみ風葬を行います。「ルンボン」と呼ばれる台座にご遺体を安置し、自然に還す葬法です。
これは、一般的に人が亡くなった後は死者の霊となるとされていますが、風葬で葬られた人は神格化され、その後も民族を支えてくれると考えに基づいています。
日本における風葬のやり方
ここまで、現在も風葬が行われている地域とそれぞれの風葬のやり方なども紹介してきましたが、日本ではどのように行われていたのかについて、沖縄で行われていた風葬を例として解説します。
風葬が行われていた地域
日本でも中世まで風葬が行われており、沖縄では戦前まで続いていました。沖縄で長く続いていたのは、「ニライカナイ」という思想にあります。ニライカナイとは、亡くなった後は自然に還るという自然回帰の思想です。
明治時代に風葬が規制されたため、沖縄でも火葬が行われるようになりましたが、本島以外では火葬施設の設備がなかなか整わず、土地も狭いことから風葬が長く続いたとされています。
沖縄以外にも「神の島」と呼ばれている久高島は1960年代頃まで風葬が行われていました。
ご遺体の扱い方
主に沖縄で行われていた風葬は、まずご遺体を洗浄して清めてから、ご遺体を安置する風葬場に運びます。一般的に、山間部や村の外れといった風通しのよい場所です。
実際にご遺体が安置されるのは、石室や洞穴などが多く、石で作られた簡易的な棺や石垣に囲まれた場所の場合もあります。ご遺体は自然の力にゆだねて、骨だけになるまで数か月から数年という期間安置されます。
ご遺族の儀礼や供養方法
安置したご遺体がご遺骨になったら、ご遺族や村の共同体により、ご遺骨を集める作業が行われます。
集められたご遺骨は清水や海水を用いて洗浄し、清める儀式が行われます。この儀式は主に故人と縁の深い女性、主に妻や娘によって行われていました。これは「生命を育む力」を持つ女性が、故人の魂も再生させる力を持つと考えられていたためです。
洗骨が終わったご遺骨は、骨壺に入れられお墓に納められました。これは「ニライカナイ」の考えに基づき、故人の魂が清められて再びこの世に帰ってくるための準備と考えられていたのです。
風葬を通して多様な死生観に触れてみましょう
この記事のまとめ
- 風葬とは、ご遺体を自然の中に安置し、雨風や鳥獣などにより自然に還す葬法
- 風葬は死は生命の循環の一部という死生観に基づいて行われる
- 一部の宗教では死を穢れとみなす考えやご遺体に手を加えない方がよいとされる信仰も風葬を行う理由に影響している
- 縄文時代までは風葬が一般的だったが、中世から近代にかけては沖縄等の特定の地域のみになる
- 明治時代以降は火葬の推奨により風葬が規制されて衰退した
- 沖縄で風葬が長く続いたのは「ニライカナイ」という自然回帰の思想の影響が大きい
- 世界ではチベット仏教圏やインドネシアの一部、ボルネオ島などの地域では現在も風葬が行われている
風葬とは、自然との共生や生命の循環の一部と考える死生観から生まれた葬法です。現在の日本では、衛生面や環境の変化により風葬はほとんど行われていません。しかし、世界の一部の地域では現在も死生観やその土地の環境により受け継がれています。風葬を通して、さまざまな思想や文化、死生観に触れてみましょう。
2006年に葬儀の仕事をスタート。「安定している業界だから」と飛び込んだが、働くうちに、お客さまの大切なセレモニーをサポートする仕事へのやりがいを強く感じるように。以来、年間100件以上の葬儀に携わる。長年の経験を活かし、「東京博善のお葬式」葬祭プランナーに着任。2023年2月代表取締役へ就任。