【八木澤壯一さん特別講義前編】世界の火葬化と「弔い」の変化(前共立女子大学教授・東京電機大学名誉教授 八木澤壯一)
火葬場と向き合い50年以上。火葬場をテーマにした論文で日本建築学会賞を受賞、実際の火葬場の建築にも広く携わってきた八木澤壯一さん。 2023年3月10日に東京博善 代々幡斎場にてご講演いただいた内容をまとめました。世界の火葬の歴史・変遷から、火葬場とはどんなものなのか、どういう風に扱われてきたのかについて、お話いただきました。最後のお別れの場である火葬場ができることは何なのか、ぜひご一読ください。
世界的に火葬化が進んでいる
まず、世界的に火葬化が進んでいます。僕が研究を始めたのが1970年代中盤で、その時自分で作ったグラフです(図-1 各国火葬率の推移)。イギリスに拠点がある世界火葬協会の調査をもとに年代と火葬率をまとめました。これを見ると、日本がダントツでしょう。ダントツだけれども、1956年では60%です。火葬がここまで広まったのは割と最近だということです。1973年で80~90%で、現在は100%くらいですね。
2位以下は、2つのグループになっています。上のグループは、イギリス、ローデシア(現ジンバブエ共和国)、デンマークが連なり、下のグループはあんまり普及しないところで、西ドイツとか、オーストリアと書いてあります。上のグループは、キリスト教の新教(プロテスタント)ですね。下のグループは旧教(カトリック)です。旧教は頑張って1960年代くらいまで火葬を絶対禁止していましたので、こんな違いがでてきます。そして、残念ながらこのグラフにはアジアがないんです。
インドの火葬場
次にインドを見ていきましょう。この写真は皆さんご存知ですね、ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンによって建造された霊廟です。行ったことあります?絶対行った方がいいですよ。でもここに行って、これがインドだと思ったら大間違いです。
インドもイスラムに支配された時期が時々あります。これはイスラムの建築物ですから、火葬したお墓ではないんです。ところで、誰のお墓か知っていますか?これは奥さんのお墓なんです。皇帝シャー・ジャハーンは、自分のお墓として、真っ黒い大理石でこれ以上のものを作ろうとしたのですが、浪費するからと息子に止められて駄目になるんです。そして彼は残念ながら奥さんの脇にちょこんと眠っています。ですから一応、夫婦のお墓なんですけれども、見方としては奥さんだけのお墓です。
ヒンズーの火葬の歴史
ヒンズーは昔から火葬をしています。これはお釈迦様の影響かと思いきや、お釈迦様が火葬をしなさいなんて言ったことはないんですね。ヒンズー教の習慣でたまたま火葬をしてきていただけなんです。
人が亡くなったら、交流のあった人がたくさん集まってきて、彼らによって火葬されるんです。そしてインドにはガンジス川のほとりに火葬場がたくさんあるのですが、面白いことに、そのほとんどが寄付金でできています。自治体が管理しているわけではないんですね。彼らが火葬をするときは、ガンジス川の水をわざわざ運んできて、それで身を清めて火葬します。
これが火葬をしているとこです。こういう風に火葬することが彼らの葬式なんです。火葬する薪を持ってきて、くべて、というのをみんなが集まってやるんです。ですから、火葬は見ちゃいけないものじゃなくて、ちゃんと見て、燃えているところでお別れをするという、これが火葬の原点です。それで骨になったら、ガンジス川に流します。だから彼らにとっては、お墓はいらないんです。
イギリスによる支配の時代
インドはイギリスによる支配を受けていた時代があります。当時、イギリスはヒンズー流の火葬は「不潔だ」と言って、やめさせようとしました。しかし誰も従わないので、電気で火葬する火葬場を作ったんですね。ところが、ほとんどの人が使わない。支配者としては、これを使えと言うのですが、ヒンズーの人々には浸透しませんでした。
ラオスの火葬場
日本に来ている仏教は中国経由で来ています。そうではなくてインドから直接アジアに流れている仏教がありまして、それを追ってラオスに行ってきました。たまたま日本人で宮型の霊柩車を贈った人がいるんです。その時に贈呈式をやるからというので呼ばれて行ってみたら、いい風景がありました。ラオスのルアン・ブラバンというところです。これがお寺さんの門です。その向こう側に建物ありますね。あれ、なんだか分かります?あれは火葬場なんですよ。
ここで火葬して送るんですね。ちょうど3つ建物があって、広場があって、その向こう側に集会場みたいなものがありました。その集会場の建物の上を見ると、お釈迦様の涅槃の図が描かれています。
上の写真を見ると、横たわっているお釈迦様がいて、それを王様連中がみんなで見ているわけですね。そこで火葬しているのを見て、お釈迦様の骨をお弟子さんが分配して、それを舎利として納めたとされています。ですので、世界で一番お墓が多いのはお釈迦様だと思います。日本にもものすごい数のお釈迦様のお墓があるのをご存知ですか。お寺に行って多宝塔や五重の塔があれば、それはお釈迦様のお墓です。
その証拠に、あの建物の真ん中に心柱(しんばしら)というのがあって、心柱が宙づりになっているんですけど、その一番下にお釈迦様の骨があることになっています。こんなことで、世界中にお釈迦様のお墓があるという、だからあの人ほど幸せな人はいないかなと思います。
葬儀の最期に火葬場に来て、みんなで集まって火葬する、こういう風な火葬場が日本にもできたらいいなと思っているのですが、残念ながらまだまだですね。
キリスト教の火葬場
ここからは、仏教の火葬から離れて、キリスト教が何をやったかを解説していきます。これもまた傑作なんですね。
もともとは土葬が主流
フランスのパリにキリスト教を説教した聖人がいて、その人が亡くなった後、パリから10キロくらい離れたサンドニという町に教会ができました。そこに歴代のフランス王朝のお墓があります。もともとキリスト教は、死んだ後はお墓で聖なる人と一緒に暮らすという考えですから、肉体が必要でした。火葬すると肉体がなくなりますが、土葬すると残ります。肉体を保存するために土葬という文化が定着していたんですね。
棺があって、その上に彫刻がある、これが大好きなんですね。ちゃんと体が残っているという。いかに体を残すかっていうことが彼らのテーマなので彫刻を作って、その下に遺体が安置されています。
伝統的なお墓
教会の地下にほとんどのお墓があります。そこがいっぱいになると、今度はその教会の周りに墓地を作って、そこに埋葬していました。
その後そこがいっぱいになると彼らは困って、近代になって収まらないからといって、郊外の教会が持っている土地に近代的な墓地を作ります。この一つの例として観光地にもなっているパリのペールラシェーズ墓地にも火葬場があります。
写真は一軒一軒がお墓なんです。〇〇家、〇〇家のようになっていて、そこは日本と同じです。ただ日本と異なるのは、一つひとつのお墓が、みんなそれぞれ違う形をしているところです。日本はわりと隣と一緒がいいって言って同じのを作りますけど、彼らはみんな違います。
遺体はどこにあるかと言うと、このお墓の地下が10mほど掘ってあって、そこに遺体を入れます。それでもやっぱりそこだけでは収まらなくて、特にプロテスタントの方から始まったんですけども、火葬がいいんじゃないかって言って、お医者さんが中心になって火葬場を作り始めます。
キリスト教の火葬のはじまり
これは火葬場です。火葬場があって、その周りに建物ありますが、あれは納骨堂です。火葬をすると骨だけになって小さくなりますから、納骨堂の壁に全部収まるようになりました。
これも面白いですね。火葬する時にあの扉を開けて遺体を入れるんです。壁面があの世の世界を描いているみたいな雰囲気ですね。これに入れたらお別れで、葬式もここで終わります。ですから、日本みたいに火葬とその後までは見ないんです。ところが、最近は焼いているところも見たいという人もいて、一部見せていますが、直接見せるのは可哀想だと言って画面を通して見せたりと、色々工夫してやっています。
火葬後の骨はどうするか。ペールラシェーズでは敷地内の芝生に骨を撒いています。それも彼らの撒き方はそうっとやるのではないです。火葬が終わると火葬場の職員の人が筒のような入れ物に骨を入れます。そしてその筒を芝生にパッパとやると、骨がシャッシャと出るんですよ。
写真に見えている白いのは骨です。その上にお花を置いていくという、こういう現実にはっきり分かることやるんですね。これでだいぶ火葬が普及するようになりました。
東京にある多摩霊園って行ったことあります?多磨霊園というのは、ヨーロッパで近代墓地ができたのを東京市の公園課長さんが見に行ったら、「ああ、墓もこういうのがあるんだね」といって、日本にも作ろうというので多磨霊園を作りました。ヨーロッパの近代墓地がモデルになっているもんですから、すごい立派で緑もある霊園です。
中国の火葬場
続いて、中国の埋葬の変遷はどうだったかについてです。中国はもともと儒教の「先祖を大事にする」という考えから土葬を行ってきていました。毛沢東が共産党で政権をとってからも、最初は真面目に「革命に協力してくれたんだから」というので兵隊さんを土葬しようとします。共産党ですから、宗教を否定し、たくさんあった道教のお寺を全て接収してお墓を作るんです。はじめはソ連をモデルにして石棺を作って土葬していたんですが、すぐ土地が足りなくなったんです。これじゃ困るから何とかしなきゃというので、周恩来が考えたのでしょう、葬儀革命を行います。
葬儀革命
土葬をやめて火葬にすれば、墓石も棺桶も要らなくなるから土地や石、木材を節約できる、という名目で行ったため今では共産党は火葬を推進しています。このように葬儀改革を行ったんですが、普及しているかどうかは地域によってかなり差があります。都会は大体普及していますが地方ほど土葬が残っています。
ちょうど火葬が普及し出した時に、日本の火葬を参考にしたいということで、中国の火葬場の担当の揚春河さんから呼ばれたんです。それがきっかけで1年間ほど中国で暮らすことにしたんですね。その間、全国を4万キロぐらい歩いたんですが、火葬は都会では普及しているんですけども、田舎へ行ったら嫌われていましてね。タクシー拾って「火葬場へ行く」って言うとタクシーの運転手が「嫌だ」と言うほど火葬場を嫌っている、そういう時代です。これは韓国も同じですね。
これは中国の八宝山という北京を代表する火葬場です。立派な火葬場を造って形式的に火葬化を試みたんですけど、やはり精神的なものも大事にしようということで、拾骨して遺骨を返すときに行列を作って丁寧にやっています。日本的なやり方みたいなものを非常に参考にしていますね。
後編は、日本の火葬の歴史から振り返ります。こちらからご覧いただけます。
【八木澤壯一さん特別講義後編】世界の火葬化と「弔い」の変化(前共立女子大学教授・東京電機大学名誉教授 八木澤壯一)
八木澤壯一教授 プロフィール
前共立女子大学教授・東京電機大学名誉教授。火葬場に関する研究・調査と、その建築計画・設計の実務に携わり、実際に多くの建築を手掛けてきている。また、建築物に限らず「葬送」に関する多くの著作を残してきており、「葬送・火葬」に関する研究と実務を系統的に建築計画の一分野として確立した。