【デヴィ夫人特別インタビュー】ドキドキが人生を彩る

インドネシア初代大統領スカルノ氏の夫人として、国際舞台で輝きを放ってきたデヴィ・スカルノさん。今回は、印象に残っている葬儀や、ご自身の死生観、そして人生の最期について語っていただきました。
ダイアナ追悼の日
——印象に残っている葬儀について教えてください。
昭和天皇のご葬儀は、今でも深く印象に残っています。テレビを通して、その様子を拝見しましたが、日本の美しさ、そして天皇家の由緒ある伝統や文化が随所に表れていました。
八瀬童子の装束をまとった皇宮護衛官たちが、柩を担いで静かに進む姿は、実に荘厳で、心を打たれました。たいへん厳かで威厳に満ちた儀式だと感じました。
——海外の葬儀で、心を打たれたものはありますか?
ダイアナ元妃のご葬儀の際、私はニューヨークに住んでおり、その様子をテレビで拝見しました。あれほど多くの人々に愛された方の突然の死は非常に衝撃的で、深い悲しみに包まれたのを覚えています。映像を目にするたびに涙があふれ、1週間ほど泣き続けていたのを覚えています。
ケンジントン宮殿からウェストミンスター寺院まで、荘厳な葬列が続き、柩は大砲の台車に乗せられて運ばれました。柩には王室の旗が丁寧にかけられ、その上には純白のユリの花が静かに手向けられていました。その光景は、言葉では言い尽くせないほど美しく、深く心を打つものでした。
——ダイアナ元妃のご葬儀のほかにも、特に印象に残っているものを教えてください。
エリザベス女王の国葬は、まさにその国の威信と国力を示す壮大な儀式でした。世界各国から国家元首や首相が参列され、女王への敬意が感じられました。ウェストミンスター宮殿を出発した葬列は、女王が愛され親しまれていた場所を静かに通り抜け、ウェストミンスター寺院へと至りました。
柩の上には王冠、宝珠、王笏といった王権の象徴が置かれ、さらにバラやギンバイカの弔花が添えられていました。その厳かで気品ある佇まいは、エリザベス女王の生涯を象徴するような、美しく感動的なものでした。
想いが伝わる葬儀

——夫人は「葬儀」というものにどのような印象をお持ちですか?
仏教式のご葬儀では、お経の響きや、美しい袈裟に身を包んだお坊さん方が整然と並ぶ荘厳な雰囲気に、自然と親しみを覚えます。神道式のご葬儀に参列した際には、雅楽の優雅な音色に心を奪われました。また、東京・千代田区の聖イグナチオ教会で執り行われたカトリック式のご葬儀では、聖歌や讃美歌の静かで清らかな響きが印象に残っています。
それぞれの宗教儀式には独自の美しさがあり、どの場面も心に深く響くものでした。
——参列した葬儀のなかで心に残ったものを教えてください。
俳優・岡田眞澄さんのご葬儀は、今も心に深く残っています。日本の葬儀では、白と緑を基調とした花々で美しく飾られるのが一般的ですが、彼のご葬儀はまったく異なる趣で、生前にこよなく愛していた英国風の庭が、そのまま再現されたかのような空間でした。
奥様が彼の趣味や好みを深く理解されていて、木々が自然に立ち並び、花々や緑が見事に調和していて、本当に美しかった。ああ、奥様は心から彼を愛していらしたのだなと、その想いが強く伝わってくる忘れがたい素晴らしいご葬儀でした。
自身を表現したお墓
——夫人は、人生の最期をどのようにお考えですか?
若い頃は、スイスのアルプスの雪山で、冷たい空気の中、月を眺めながらシャンパンを飲み、「皆さん、さようなら」と言って静かに人生を終える。そんな最期を想像していました。誰にも見つからず、永遠に氷の中に眠るような。
——現在は、どのようにお考えでしょうか?
現在は、旅立った母と弟、そして愛犬たちと同じお墓に入ることを考えています。そのため、骨壺を納めるのに十分なスペースが必要だと感じ、すでに墓地の土地を購入しました。お墓のデザインについても、すでに構想を練ってあります。
——お墓のデザインはどのように考えたのでしょうか?
著名人のお墓を見て参考にさせていただきました。なかでも印象に残っているのは、岡本太郎さんのお墓です。ご自身が手がけた彫刻が墓碑として中央に据えられ、とても芸術的で素敵でした。私も、そうした自分自身を表現できるような、個性的で意味のあるお墓にしたいと考えています。
ただ、昔から「生前にお墓を建てると早死にする」と言い伝えられていますよね。実際、私の親戚のひとりが生前に立派なお墓を建てたのですが、なんとその3か月後に亡くなってしまったんです。とても元気な方だったので、とても驚きました。それ以来、まだ建てずにいます。
「ここに我らが兄弟、スカルノ眠る」
——スカルノ大統領と同じお墓に入ることを思い描かれたことはありますか。
確かに大統領ご自身が遺書にそれを望んでいました。でも私は、それは現実的には難しいだろうと感じています。ですから、せめて私の髪の毛だけでもいっしょに納めていただければと思い、かつて長く伸ばしていた髪を切って、黒い漆の箱に入れ、お寺に預けています。いずれそれをインドネシアに送り、大統領のお墓にそっと添えていただければと考えています。
——現在、スカルノ大統領のお墓はどのような場所にあるのでしょうか?
スカルノ大統領は東ジャワ州ブリタールにある霊廟に安置されています。そこではご両親に挟まれるかたちで大統領の墓があります。
本来であれば、スカルノ大統領ご自身は、ジャカルタにあるウィスマ・ヤソーの池のほとり、巨大な“ワリンギン”の木の根元に埋葬されることを望んでいました。この木はインドネシアの国家紋章にも描かれている、非常に象徴的な木です。大統領はその根元に大きな石を置き、「ここに我らが兄弟、スカルノ眠る」と刻んでほしいと遺言されていたのですが、その願いは叶いませんでした。
——なぜ、大統領はそのような静かな場所での埋葬を望まれたのでしょうか?
スカルノ大統領がロシアを訪問された際、トルストイの墓をご覧になったそうです。広大な森の中をまっすぐに歩いていくと、その中心にひっそりと置かれた一つの石に「トルストイここに眠る」とだけ刻まれていた。それがとても印象的だったようで、お墓もシンプルにしたいと願われたようです。
悲しみに共に涙する

——親しい人を亡くされた方に対して、どのような言葉をかけることができるでしょうか?
私は、無理に言葉をかけるよりも、ただ一緒に泣いてあげるのが一番いいと思っています。言葉ではなく、気持ちに寄り添う。その方の悲しみに共に涙することで、自然と気持ちが落ち着いていくものだと信じています。
——『ひとたび』を読んでくれた方にメッセージをお願いします。
最期の時まで、生き生きと輝きながら生きてほしいとお伝えしたいです。毎日を、ドキドキしながら過ごす。それが人生を豊かにする秘訣ではないでしょうか。
今この瞬間──1分1秒が、すぐに過去になっていく。だからこそ、その時間を大切に、自分らしく、心から生き生きと過ごしていただきたいと思います。
【プロフィール】
デヴィ・スカルノ
国際文化人。東京都出身。インドネシア元大統領夫人で、1970年に政変後パリへ亡命。社交界で「東洋の真珠」と称される。1990年に渡米し、国連環境計画の特別顧問として活動。現在は日本を拠点に「デヴィ夫人」として親しまれ、華やかな経歴と独特の存在感でテレビなどでも活躍。国際的な基盤を活かし、一般財団法人アース・エイド・ソサエティを設立し、地球規模で慈善活動を行っている。