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【世界の葬祭文化22】「人生の最後の食事」に何を食べる? ~世界のホスピスの食卓から~

【世界の葬祭文化22】「人生の最後の食事」に何を食べる? ~世界のホスピスの食卓から~

終末期ケアにおける「最後の食事」では、高級料理よりも懐かしい母の手料理や故郷の味など、「記憶の味」が選ばれる傾向にあります。ドイツではプロのシェフが郷土料理で人生を表現し、アメリカでは快楽摂食を重視、日本では「おもてなし」で応えるなど、国ごとに様々です。「最後に何を食べるか」という問いは、「何を大切にしてきたか」という深い自己省察への入口と言えるでしょう。今回は「最後の食事」事情を探ります。

最後の一皿が教えてくれること

最後の晩餐 イメージ

レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」で描かれた、イエスと弟子たちが囲む食卓。この永遠の名作が私たちの心を打つのは、食事という日常的な行為が、人生最大の転換点において特別な意味を帯びることを物語っているからでしょう。現代の終末期医療の現場でも、「最後の食事」は単なる栄養補給を超えた深い意味を持っています。

世界各国のホスピスや緩和ケア施設では、余命宣告を受けた患者の「最後に食べたいもの」に真摯に向き合う取り組みが広がっています。それは医学的な治療とは異なる、もう一つの大切なケア。人生の集大成として選ばれる一皿には、その人が歩んできた道のりと、大切にしてきた価値観が凝縮されているようにも思えます。

プロのシェフが奏でる人生の終曲(ドイツ)

北ドイツの港湾都市ハンブルグ。かつてビートルズがデビュー前に演奏し、今も世界的な歓楽街レーパーバーンで知られるこの街の中心部に、「ロイヒトフォイヤー」というホスピスがあります。一般的にホスピスといえば郊外の静かな環境を想像しがちですが、このホスピスはあえて街の喧騒の中に身を置いています。

ここで注目すべきは、一流レストランで修業を積んだプロのシェフが、患者一人ひとりのリクエストに応じて「人生最後の食事」を手作りしていることです。メニューに並ぶのは、ハンブルグ名物の「ラプスカウス」(マッシュポテトとコンビーフを混ぜ、酢漬けニシンと目玉焼きを添えた船乗りの食事)、牛肉にベーコンとピクルスを巻いて煮込んだ「ルーラーデ」、生クリームで仕上げる家庭料理「フリカッセ」など、ドイツの郷土色豊かな料理の数々。


シェフは患者やその家族から丁寧に話を聞き、料理に込められた思い出や情景を理解してから調理に取りかかります。単に美味しい料理を作るのではなく、その人の人生の物語を一皿に込める―これはまさに、料理という芸術の最高峰と言えるでしょう。街の中心という立地も、「最後まで人生を謳歌する」というメッセージなのかもしれません。

どんなサンドイッチも美味しく(アメリカ)

アメリカの終末期ケアでは、「快楽摂食」という考え方が広く受け入れられています。これは栄養バランスよりも、患者が「食べたい」「美味しい」と感じることを最優先にするアプローチです。末期がんと診断された、あるシンガーソングライターが残した「どんなサンドイッチも美味しく食べなさい」という言葉が、この精神を象徴しています。

アメリカのホスピスで人気が高いのは、マッシュポテト、アイスクリーム、チキンスープといった、ごく平凡な食べ物。これらは食べると安心感や幸福感、懐かしさを感じるような料理のこれらに共通するのは、幼少期から慣れ親しんだ安心感のある味であること。いわば平均的アメリカ人にとっての「究極のコンフォートフード」なのです。ある男性患者は人生の最後にコカ・コーラだけを欲しがり、亡くなった後、病棟スタッフが彼を偲んでコカ・コーラで乾杯したというエピソードもあります。

興味深いのは、飲み込む力が弱った患者への配慮です。綿菓子は口の中で溶けるため窒息の危険が少なく、同時に子供時代の楽しい思い出を呼び起こします。地元のパン屋でパイフィリング(具材)だけを分けてもらったり、愛飲していたお酒を数滴舌に垂らしてあげたり―安全性と楽しみを両立させる工夫は、アメリカらしい実用的なケアの発想です。

和の心で包む最後のおもてなし(日本)

日本では大阪の淀川キリスト教病院ホスピスが、患者の「リクエスト食」に積極的に取り組んでいます。毎週、患者からの希望を聞き取り、可能な限りその要望に応える姿勢は、まさに日本の「おもてなし」の精神そのものです。

ここで提供される料理の幅は実に多彩です。格式高い懐石料理から、家庭の食卓を彩った素朴なおかず、季節感あふれる郷土料理まで。ある患者は亡き夫に作ってあげたかったというポタージュスープを、また別の患者は家族で囲んだ思い出深いすき焼きをリクエストしました。

大事なのは、料理の背景にある物語への深い理解です。スタッフは単にリクエストされた料理を作るのではなく、その料理が患者にとってどんな意味を持つのか、どんな思い出と結びついているのかを丁寧に聞き取ります。そして盛り付けや器選びにまで心を配り、患者の記憶の中にある「あの時の味」を忠実に再現しようと努めます。この取り組みの効果は絶大で、転院後に食欲を回復する患者も少なくないようです。「食べること」が生きる力に直結することを、日本のホスピスは証明しているのです。

「最後の食事」から見る世界の終末ケア

各国のホスピスケアを比較すると、文化的背景の違いが興味深く浮かび上がってきます。オランダでは1990年代以降、患者の自己決定権を重視する風潮が強まり、食事選択においても患者の意思が最優先されます。政府主導で多様な緩和ケア施設が整備され、患者が望む形での終末期を過ごせる環境が整っています。イギリスでは宗教的・文化的背景への配慮が特に手厚く、イスラム教徒の患者にはハラール料理を、ヒンズー教徒には菜食主義に配慮した食事を提供するなど、多文化社会ならではのきめ細かなケアが行われています。

しかし、国籍や文化を超えて共通するのは、患者が「記憶の味」を求める傾向です。未知の高級料理より、子供時代に母親が作ってくれた素朴な料理、家族で囲んだ団らんの味、故郷の郷土料理――。人生の最終局面で人が求めるのは、やはり安心と懐かしさをもたらす慣れ親しんだ味なのです。

食事と人生の関係性

家族団らん イメージ

「最後に何を食べたいか?」という問いは、実は「人生で何を大切にしてきたか?」という深い自己省察への入り口なのかもしれません。多くの人が選ぶのは、決して珍しい食材や複雑な調理法を要する料理ではありません。母親の手料理、故郷の味、家族との思い出が詰まった一品。つまり、その人の人生において「愛」や「つながり」の象徴となった食べ物なのです。

ある男性は最後にホワイトキャッスル(創業100年を超えるアメリカのハンバーガーチェーン)のハンバーガーを一口食べて、「(世の中の)食べ物は過大評価されている」と笑ったそうです。この言葉は示唆に富んでいます。最後の食事の真の価値は、それ自体の「味」にあるのではなく、その料理に込められた愛情や思い出、そして「自分は愛されていた」という「記憶の再生」にあるのでしょう。

人生最後の食事を通じて、私たちは自分が何を大切にし、誰に愛され、どんな幸せを感じてきたかを再確認しているのです。それはまさに、人生の集大成としての意味を持つ、最も贅沢な時間と言えるかもしれません。

食事は最後の贈りもの

最後の食事は何を選ぶ? イメージ

世界各国のホスピスで展開される「最後の食事」への取り組みは、日本の終活文化にも大きな示唆を与えてくれます。単に延命治療を行うのではなく、患者の尊厳と心の平安を重視するケアの在り方は、超高齢社会を迎えた日本でも急務の課題です。

家族ができることも多くあります。大切な人が最後に食べたいものを聞き、一緒にその思い出を語り合う時間を持つこと。たとえ一口しか食べられなくても、その料理に込められた愛情は確実に相手の心に届くでしょう。

近年、日本でも地域医療と介護の連携が進み、在宅での看取りを支援する体制が整いつつあります。世界の先進事例に学びながら、日本らしい心のこもったケアを発展させていくことで、誰もが安心して人生の最終章を迎えられる社会を築いていけるはずです。

「最後の食事」は、単なる栄養補給ではありません。それは人生という長い物語の、美しい終章を飾る特別な贈り物です。その一皿に込められた愛情と思い出は、この世を去った後も、遺された人々の心の中で永遠に輝き続けることでしょう。私たちもまた、いつかその時が来た時、どんな一皿を選ぶのか―そう考えることで、今この瞬間の食事や家族との時間が、より一層かけがえのないものに感じられるのではないでしょうか。

参考資料・サイト

『人生最後の食事』デルテ・シッパー(シンコーミュージック・エンターテイメント)

『人生最後のごちそう』青山ゆみこ(幻冬舎)

BuzzFeed「投与後に舌に数滴垂らします」:医療従事者が死期が近い患者を最も幸せにする特定の食品を公開

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