【石田純一さん特別インタビュー】死は最後のチャレンジ
役者として、数多くのドラマや映画に出演してきた石田純一さん。今回は役者の仕事を通じて伝えたい想いや人生に必要な考え方、そして大切な人との別れについて、語ってくれました。
一片の勇気を投げ込む
—役者の仕事を通じて、伝えたい想いはありますか?
一片の勇気だけでも投げ込み、それを感じ取ってもらえるような演技を心がけてきました。人生の中で不安や恐れ、疑いを持つことはあると思います。しかし、それらが積もり積もれば、心は沈んでしまいます。その状態では、何事もうまくいきません。勇気を持って取り組むほうがよい結果が得られるはずです。古代ローマのウェルギリウスも言っていますが、「運命は勇者に微笑む」のです。私は、その勇気を少しでも与えたい。その想いは、一貫して持っています。ドラマなどの演技を通じて、懸命に生きてきた姿を伝えることで、少しでも世の中に貢献できれば嬉しいです。
—今後、役者として挑戦したいことはありますか?
役者として、あるいは監督としても、旬な映画作りに挑戦していきたいです。私は、映画にはアップデートが必要だと考えています。古い題材を扱う映画にしても、表現のアップデートは必要です。当然、若いときに抱いた気持ちを持ち続けることも大切です。しかし、理論は日々変わっていきます。エンターテインメントの世界で、常に新鮮な映画を作っていきたいです。
—石田さんは、映画のどこに魅力を感じていますか?
深いセリフでもむずかしい言葉を使わず、いろんな言い回しができるのは魅力ですね。むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく。その素晴らしさを教えてくれたのは、『カサブランカ』(マイケル・カーティス監督)でした。主演のハンフリー・ボガートが好きでね。彼の魅力は、ニヒルな表情やハードボイルドさだけではなく、少ない言葉で深さを感じさせることにあります。経営者でも、リーダーでも、軽妙さの中に深みがあることが大切だと思います。優雅な態度や身のこなし、佇まいが、「この人についていきたい」と思わせる深さではないでしょうか。私自身、役者として、そうした姿を表現していきたいです。
笑って、恋して、生きる
—年を重ねることをどのように感じていますか?
年を重ねることは素敵なことだと思います。人は死に近づけば近づくほど、感覚が鋭敏になっていきます。感覚が鋭敏になると、一つひとつの景色が魅力的に感じられ、肌で感じる風でさえ、愛おしくなってきます。
昔は鋭敏だと感じていた青春時代が、実は鈍感だったのではないかと思い返しています。当然、失恋したときは落ち込みました。死んでもいいとさえ思ったけど、傷もそこそこに癒され、回復も早かったように思います。こうした経験は活力にもなっています。それは感覚や思考が鈍感だったから起きたメカニズムだと今では分析しています。今は逆にどんどん鋭敏になってくる感性や考え方をいろんな仕事を通して発信していきたいです。
—石田さんは、ご自身の人生をどのように捉えていますか?
人は、生きていかなければなりません。だから、私の人生のテーマは「笑って、恋して、生きる」。人生を楽しみ、人に愛され、粋で優雅な態度を持ち、内面の豊かな人間であり続けたいですね。そのためにも、生きていく中で、自分が真に満足する考え方を反映させていくことは大切です。
—満足する考え方とは、どのような考え方でしょうか?
例えば、人を想うDNAを持つこと。それも1つの考え方です。そのほうが、生き甲斐として、充実した人生になっていくと思います。他人の喜びや幸せが自分の行動規範になっていくこと。世界中の人々が、その考えを持っていれば、戦争なんか絶対に起きませんから。私たちは、いかなる観念で生きていくべきか、常に考えなければなりません。草木国土悉皆成仏という言葉があります。生きとし生けるもの以外にも、土や石でさえ魂があり、仏性が宿っているという意味です。この世のもの全てを慈しむべきだという考え方ですね。それどころか、今、世界中で人の命が奪われています。家も、友人も、家族も失う。平和に暮らすこと、戦争のない状態を続けていく努力が、私たちには必要です。
Show must go on.
—大切な人との別れについて聞かせてください。
両親や姉、先妻、親友。どの別れも印象に残っており、ショックな出来事でした。でも、人生には「別れ」が刻まれています。どんな人とも、必ず別れが訪れるということです。Show must go on.(やり遂げなければならない)。どんなことがあろうと、私たちは前に進まなければならないのです。
私は、両親が亡くなる瞬間には立ち会えていません。父が危篤のとき、父の最期を見たかったのですが、ドラマの撮影があり、午後の撮影をキャンセルしてもらって病院へ向かいました。しかし、父はもう亡くなっていました。母のときも同様で、仕事で最期に立ち会うことができませんでした。
自分が死ぬ瞬間は、子どもたちに囲まれて最期を迎えるイメージを持っていました。でも、両親との別れを経験して、今では死ぬ瞬間は見せなくてもいいかなと思っています。というのも、大切な人を思い出すときは、最期の瞬間ではなく、元気なときだったり、何かを言われた言葉だったりするからです。生物学的な死に立ち会うことではなく、「うちの親父、死んだんだ」と思い出してくれること。自分の最期はそんな感じでいいかなと思っています。
—石田さんは、「死」をどのように考えていますか?
私は、「死」は最後のチャレンジだと考えています。人は生きてきたようにしか死ぬことができません。だから、どう生きるか。私たちは、今を精一杯生きることが大切だと思います。江戸時代の儒学者、佐藤一斎が「少にして学べば、即ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず」という言葉を残しています。私も、最後の最後まで学び、ほんの少しでも、世の中に爪痕を残したいですね。
—『ひとたび』を読んでくれた方にメッセージをお願いします。
私は、亡くなった人のことを想うとき、自分と霊界とのチャンネルが結ばれると信じています。今でも、亡くなった両親のことを想うと、どうしてか、つながっている気がします。見守ってくれているのかな。私が亡くなったら、息子や娘たちに必死に「怖がらなくていいよ」「心配しなくても大丈夫だよ。きっとうまくいくから」と伝えてあげたいです。みんな、いろんな悲しみを背負っていると思います。それでも、生きていく中の幸せを大きくすることを考えてほしいですね。
プロフィール
石田純一(いしだ・じゅんいち)
俳優。東京都生まれ。1979年、NHKドラマ「あめりか物語」でデビュー。その後、88年フジテレビ「抱きしめたい!」への出演を機に、トレンディ俳優として一世を風靡する。その後、89年「君の瞳に恋してる!」(フジテレビ)、90年「想い出にかわるまで」(TBS)など、数多くのドラマに出演する。テレビのバラエティ番組では司会としても活躍。