【金田賢一さん特別インタビュー】語り継ぐことで生き続ける
役者や朗読など、さまざまな分野で活躍する金田賢一さん。今回は、お父さまとの別れや自身の終活について、そして次世代へのメッセージを語ってくれました。
最期になると思わず
—印象に残っている別れについて聞かせてください。
父との別れですかね。私は父の最期を看取ることができませんでしたから。父が病気で倒れたとき、病室を親族でいっぱいに埋めていると父も苦しいだろうと思い、妻と帰宅することにしたんです。それが最期の時間になるとも思わずにね。
—当時の心境について教えてください。
最期を看取れなかったことに後悔はありません。ただ、父の最後の誕生日を思い出しましたね。妹たちから父の誕生日会に誘われたのですが、「妹たち家族でいけば」とか言って、参加しませんでした。今から思うと、行ってもよかったのかな、と。
—お父さまが亡くなってからはどのような時間を過ごしましたか?
冷めたもんですよ。死後の手続きがたくさんあるから、長男の私は冷めてなければなりません。父はそれほど終活もしておらず、葬儀や火葬、事務手続きまで、すべてを決める必要がありました。また父を追うように母も亡くなり、ほっとする時間はありませんでしたね。
—お父さまの葬儀やお別れの会はいかがでしたか?
お別れの会では、長嶋茂雄さんをはじめとした、多くの球界関係者のみなさまに参列していただきました。その場には、野村克也さんもいらしていて、お焼香の際、野村さんと長嶋さんが2人きりになる瞬間がありました。そのときの2人は、お互いの手を握り合っていたんです。その光景を見たとき、想いがこみ上げてきましたね。父も喜んでいたと思います。
ハレの日を作る
—ご自身が考える理想の最期はありますか?
それは昔から言うピンピンコロリですよね(笑)。あるときぽっくり、と。でもそれはあくまでも理想ですよね。役者の仕事で亡くなる演技は何度もやりましたが、実際に最期を迎えるときはどうなるのでしょうね。たまに死んだあと、自分はどこへ行くのだろうと思うこともあります。これは永遠の命題ですね。この命題があるおかげで宗教があるわけですから。ちょっと考えてみるかな。
—終活についてはどのように考えていますか?
私は最期を考えるより、いかに人生を走り切るかが大事だと思っています。何かを処分したり、事務手続きを進めたり、それも大切なことですが、もっとポジティブな時間を過ごしていく。みなさんも、もう少し欲をかいていいと思います。欲は人生のガソリンですから。そして、いかにハレの日を作るか。すべては自分の行動次第だと思います。
以前に介護施設を訪問したとき、自分でもいろいろと企画を考えて、友達のカメラマンに遺影の撮影会をお願いしたことがあります。おじいちゃん、おばあちゃんたちは、まだまだ自分が死ぬなんて思っていないから、遺影写真を撮ると言ったら、「まだ死なないよ(笑)」と言いながらも喜んでいるわけです。本格的にメイクさんにも来てもらって写真を撮っていたので、みなさん非常に高揚して、いいお顔になっていましたね。それもハレの日になりますよね。
—ハレの日を作ることは生きる糧にもなりますね。
年齢を重ねていくと、着るものにしても、食べるものにしても、なんでもいいと思ってしまう人がいます。そうではなくて、よそ行きの格好をして、美味しいものを食べにいく。それだけでも気持ちは晴れると思いますよ。私は毎日がハレの日です。街を散歩しては、お気に入りの古着屋さんに立ち寄り、お店の方と笑って話す。要するに、ハレの日にするのは自分の行動次第だと思います。
語り継ぐということ
—次世代へ残したいメッセージなどはありますか?
私は朗読というパフォーマンスをしながら、昭和に起こった出来事や作品について、お客様に伝えることを続けてきました。「語り継ぐ」という作業ですね。太平洋戦争や東日本大震災など、それらの経験者はいずれば亡くなります。しかし、彼らの経験を語り継ぐことができれば、歴史は終わりません。だから、私たちも語り継いでもらった歴史、そして自分たち自身が経験した歴史を、次の世代へ語り継ぐことは必要だと思います。
—語り継ぐ作業は役者の仕事でも同じですか?
役者には、誰にも自分の演技は真似できなという自負があります。役者という仕事は踏襲ではありませんからね。ただし、役者としての志は、次の世代へ語り継ぐことができるはずです。例えば、私は森繁久彌さんと同じ舞台に立っていた。三国蓮太郎さんと親子の役を演じた。森光子と一緒だったよ。実際に見た先輩方の姿を伝えられるのは私たちしかいませんから。また昭和の頃は、舞台の終了後に楽屋でお酒を酌み交わすことがありました。そこでは先輩方が「古川ロッパさんがね」「エノケンさんがね」と、映像でしか見たことのない方の話を聞かせてくれました。これも私たちにとっては財産です。
私たちが先輩から聞いた話や、私たち自身の経験は大切な財産であり、語り継がなければなりません。この「語り継ぐ」という作業によって、彼らは生き続けることができる。それが僕らの使命だと感じています。
プロフィール
金田賢一(かねだ・けんいち)
俳優、実業家。1978年、映画『正午なり』で俳優としてデビュー。ドラマ『太陽にほえろ!』では、デューク刑事役として注目を浴びる。その後も映画やドラマ、舞台に出演する傍ら、1986年にはバラエティ番組『料理天国』の司会を務めるなど、お茶の間で人気を集める。2007年からは音楽家の丸尾めぐみと朗読・音楽ユニット「朗読三昧」を結成し、活動の場を広げている。父は元プロ野球選手・監督の金田正一。