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特集

【家田荘子さん特別インタビュー02】いつか前向きに変わるときが来る

【家田荘子さん特別インタビュー02】いつか前向きに変わるときが来る

これまでに日の当たらない方への取材を続けてきた家田荘子さん。今回は、故人の見送り方や残された方の心の整理について、語ってくれました。

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さまざまな生き方を

―これまでに日の当たらない方の声を聞いてきた理由を教えてください。

暗い話になりますが、私は親からDVを受けて育てられたという過去があります。何かを言えば殴られるので、黙っていたほうが楽で安全でした。小学校でいじめられたとき、そのことを親に言うと「いじめられるほうが悪い」と怒られたこともあります。人はつらいことを経験しても、それを心の中に閉じ込めて、笑って生きている。子どもながらにそれを感じ、我慢すること、耐えることを覚えました。

人は、特に女性は心の奥につらさやさびしさを閉じ込めて、心に鍵をかけています。その状態で社会生活を営み、笑っている方は非常に多いです。私が大人になり、女優から作家へ転身したころ、その心の鍵を開けて話してほしいと思うようになりました。話を聞くことで、心のどこかで通じ合うことができるはず。自分で言える人はいいんです。でも言えない人が大多数です。それを知らない方や否定をする方々に「こういう素敵な生き方があるよ」「今はもがいているけど、こんな生き方もあるよ」など、さまざまな生き方や価値観を伝えたいと思っています。

―人の話を聞くときに大切にしていることを教えてください。

できる限り、同じ目線に近づきたいと思っています。そこに色眼鏡はありません。取材記者をしていたとき、ある方から「君は上から人を見ている」と言われました。私は歌舞伎町や川崎などの繁華街、いわゆるアンダーグラウンドの人たちの取材をしてきました。そうした方は上から目線だと取材に応じてくれません。それは理解していたつもりだったので、その自覚はまったくないことを伝えると、「都合が悪くなると『私は記者です』と言って一線を引く」と。さらに「その人の心に近づきたいと思ったら、同じものを食べて、同じ空気を吸って、一緒に泣いたり笑ったりする。そうしないと、その人の心の中に近づけない」と言われました。

当時、私はまだ若く、その言葉の意味がよくわからないまま、取材記者を続けていました。そのため、取材をしてもちっとも相手の心の中に入れず、本音でのインタビューができていない状態でした。そんなとき、あの言葉を思い出しました。

「都合が悪くなると、相手との間に一線を引く」

それからは取材相手と同じものを食べて、同じ空気を吸って、泣いたり笑ったり。裏世界の抗争のさなか、住み込みもさせてもらいました。すると、少しずつですが、取材相手も本音で語ってくれるようになったんです。相手と同じ目線に立つことで、その人の心に近づける。そのとき、その言葉の意味を理解しました。

心を込めて故人を見送る

―残された方の心の整理はどのように行うとよいでしょうか?

それが一番大変ですよね。愛おしい人であればなおさら。「いつまでも納骨しないでいると成仏できないよ」とか、教科書的に言えばそうなんでしょうけど……。私は納得できるまで、そばにいてもいいと思います。それは教科書にはそぐわないかもしれません。でも、他人(ひと)がその人の心を支配することはできません。その人が納得できるまで一緒にいて、話しかけていいんです。いつまでも話しかけていいし、いろんな話を聞いてもらってもいい。そうやって普通に過ごしてくださいと、私は言いたいです。

供養についても、納得するまで悲しみに明け暮れ、気持ちが落ち着いてからでもいいと思います。ただ、納骨しても魂は近くにいるので、お骨はちゃんと納めてからお経をあげる、あるいは手を合わせる。それだけでも落ち着くはずです。自分がまだお経をあげたり拝んだりする気持ちではないとしても、実際に手を合わせてみると、すごく穏やかで綺麗な心になります。その行為を続けていると、次第に死を受け入れられるようになっていくと思います。

―今と昔の人の見送り方の違いについて、どんなことを感じられますか?

立派なお葬式をあげることが故人へのはなむけであるという、昭和の考え方は、今では家族葬へ取って代わりました。家族葬は故人との関係が深い人たちだけで集まります。そのため、故人がすごく明るい人だったら、みんなで笑って送ってあげるなど、一般葬では難しい、オリジナルの家族葬ができるようになったと思います。

ただし、葬儀の形式が変わっても、お経はきちんとあげてほしいですね。そこだけは変わらずにあってほしいです。お経は亡くなった方の新しい旅路へのはなむけですから、それをきちんとやった上で、いろんな形式の葬儀があってもいいんじゃないかと思います。あとは、葬儀の規模にかかわらず、心を込めて故人を見送る。それが大切なことだと思います。

亡くなった人を幸せにする

―残された方の悲しみはどのように昇華することができると思いますか?

高野山の奥の院で法話をしていますと、よく「大切な人を亡くした」という方がいらっしゃいます。中には悲しみのあまり、「もう死にたい」「あとを追いたい」と話される方も。そのときは「あなたが供養をしてあげなかったらだれが供養をするの?」と真摯に伝えています。亡くなった方を苦しいままにしておくのではなく、1日1回でもいいから、その人のことを祈る。それがあなたのお役目なんですよ、と。どんな形でもいいから、亡くなった人のことを祈る。亡くなった方を供養して、幸せにしてあげることが残された方のお役目だと思います。

―亡くなった方を幸せにするとは?

人はよく亡くなった方が自分を守ってくれていると言いますが、私はそうは思いません。まずは私たちが亡くなった方を幸せにしてあげるべきだと思います。これは生きている人に対しても同じですが、人を幸せにしてはじめて自分に徳が来る。亡くなった方が守ってくださるのです。自分の周りの人を幸せにすることで、自分はその幸せのおこぼれをいただく。それが普通の順番ではないかと思います。

納得するまで、その人を想う

―『ひとたび』を読んでくれた方にメッセージをお願いします。

人が亡くなって、一番悲しいのはご遺族です。でも人は必ず亡くなります。それはだれもが迎えなくてはならないことであって、だれもが経験する苦しみや悲しみでもあります。涙が流れるほどつらいことだと思います。それでも乗り越えていくことが生きていくことです。ただし、簡単に「時間が解決する」とは言いたくありません。私は「納得するまでその人のことを想って過ごしてください」と言いたいです。だれに何と言われようと、自分が納得するまで一緒に過ごして乗り越えてほしいと思います。

いつかはお経をあげたり、手を合わせたりすることが楽しみに変わるときが来るはずです。それは時間がかかることだと思います。でも合掌することによって、その人と会話しているわけですから、それが楽しみになり、「次は何をお供えしてあげよう」など、前向きに変わっているときが来ますから、そこまでゆっくり頑張ってもらいたいですね。

プロフィール

家田荘子(いえだ・しょうこ)
作家、僧侶、高野山本山布教師。高野山高等学校特任講師。高校在学中より、22歳まで女優としてTV、映画などに出演。日本大学卒業後、複数の職歴を経て作家へ転身。1991年、『私を抱いてそしてキスして―エイズ患者と過ごした一年の壮絶記録』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2007年、高野山大学にて伝法灌頂を受け、僧侶となる。高野山大学大学院修士課程修了後、現在は、高野山の奥の院、または総本山金剛峯寺にて駐在(不定期)し、法話を行う。『孤独という名の生き方』『四国八十八ヵ所つなぎ遍路』など発売中。

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