【家田荘子さん 特別インタビュー】いい香りが残せるような、そんな人生を歩んでください
作家と僧侶という二足の草鞋を履く家田荘子さん。 これまで光の当たらない世界や人々にスポットを当て、取材を通して社会問題を提起し続けてきた経験から、葬儀のあり方について、語ってくれました。
作家として、僧侶として思うこと
ー僧侶になると決めたきっかけを教えてください。
これまで光の当たらない世界や人々にスポットを当て、取材を続けてきました。その多くが女性です。女性はつらいことがあっても、それを心の中に隠しながら、笑って生活している方がとても多い。
そのような女性のお話を聞いていくうちに、苦しみや悩みを持つ女性が気軽に立ち寄れて、話を聞いてもらえる。そして、さわやかな気持ちで帰ることができるような場所がほしいと思いました。
もともと修験道で行をしていましたので、今度は仏教の修行をし、伝法灌頂を受け、僧侶になりました。いずれは、悩みを抱えた女性を受け入れる「ミニ駆け込み寺」を持ちたいと頑張っております。
―高野山大学大学院での印象的な授業等を教えてください。
さまざまな学びを得ましたが、なかでも「死に慣れてはいけない」という教師の言葉はとても印象的でした。ご家族にとって、亡くなった一人ひとりがとても大切な方になります。僧侶もそれを意識して、心を込めて葬儀をやらないといけないと教えられました。
僧侶の中には大切な別れにもかかわらず、それに慣れてしまった方もいると聞きます。大変残念なことです。決して死に慣れてはいけません。成仏という言葉があるように、僧侶にはお経によって、亡くなった方の魂を幸せにしてあげる役目があると思います。
―僧侶として、現在はどのような活動を行っていますか?
高野山大学大学院に通っていたとき、講師から高野山で布教や法話を行う本山布教師という資格があると聞きました。その資格を取得するためには長く厳しい講習を受ける必要があります。ただし、それが想像以上に大変で、精神的に参ってしまう方もいて……。私はなんとか無事にその講習と試験を経て、本山布教師の資格を取得することができました。
今では高野山真言宗の管長猊下の代理として、高野山本山や日本全国で法話ができるようになりました。自分のお寺に出会えるまでは、私自身が「歩くお寺」になって活動しています。悩みを持つ人たちの心に触れるような話をしたり、傾聴することは大切なことだと思っています。
―僧侶と作家の両立については、どのようにお考えですか?
作家という職業は、僧侶とつながっていました。かつて寺社は悩み相談を受ける場所であり、人が出入りしやすい場所でした。しかし、今はそうではなくなってきたので、悩みを打ち明けられずにいる人も多いはず。
私はこれまで、そうした悩みを持つ人たちへ取材をさせてもらってきました。そして、僧侶となった今、高い場所から見下ろすのではなく、同じ場所に立ち、自らが光の当たらないところへ入り込む。そうでなければ、人の心の中に入ることは難しいと思います。
これは作家としての経験があってこそだと思うので、これからも僧侶と作家、二足の草鞋で続けていきます。
家田さんの考える最期、人生の別れとは
―印象に残っているお別れはありますか?
1990年代の初め、2年間ほどアメリカでエイズ患者さんの取材とボランティアを行っていました。私は、アメリカ赤十字社のトレーニングを受けてホームナースというボランティアをやっていました。
そこでは200人以上の患者さんと出会い、そして200人以上の患者さんとの別れがありました。当時、エイズを発症したら2年以内に命にかかわると言われており、せっかく仲良くなっても亡くなっていき、とても悲しい想いをしました。
しかし、今は悲しいけれども、きちんと見送ってあげることの大切さも強く実感しています。
―現代の葬儀に対して、なにか感じることはありますか?
葬儀の費用を値切ることができるようになってから、「葬儀は軽くでいいんだ」と思う人が増えたように感じています。また、スマホの普及やコロナ禍によって、人と接することが苦手になってきて、人と心を合わせることが難しい人が増えたように感じます。
「お葬式でちゃんと送ってあげよう」「亡くなった人を大切にしよう」「自分がここにいるのはご先祖のおかげ」など、感謝や思いやりの少ない人たちが増えているように思います。
コロナ禍において、葬儀もやらずに火葬場まで直葬することもありました。でも葬儀は命を亡くした人が、新しい場所へ旅立っていくための大切な儀式です。だから、きちんと見送ってあげるという気持ちを忘れないでいてほしいです。
―自身の終活についてはどのようにお考えですか?
終活については、よく夫と話し合っています。この先、自分たちに何が起きるかわかりませんから。できる限り皆さんにご迷惑をかけないように、少しずつ準備を進めています。
特に私にはアメリカに娘もいますので、彼女が困った時に使えるよう保険をかけています。
自身の葬儀については、慎ましく執り行っていただきたいですね。また、僧侶の仲間たちが手を貸してくれたら嬉しいなとも思っています。
―ご自身が考える葬儀とはどのようなものでしょうか?
葬儀では、悲しみやさびしさなど、さまざまな想いが生まれます。私は、そのときの想いのままに、大切な人との時間を過ごしてほしいと思います。
泣きたいだけ泣いていい。話したいだけ話していい。「今日はこんなことがあったよ」と、生前と同じように話しかけてください。
格好悪いなんて思わずに、納得できるまで寄り添っていいんです。なにより、残された人の心がもっとも大切ですから。
読者の皆さまへのメッセージ
―『ひとたび』を手に取ってくれた方にメッセージをお願いします。
弘法大師空海が「身は花とともに落つれども 心は香とともに飛ぶ」という言葉を残しています。花は枯れたら散ってしまうけれど、花の香りは残っている。
その花と同じように、亡くなったときに、その人の心が残るような人生を歩んでほしいと思います。
おそらく、皆さん、お別れのときに残された香りを感じられたと思います。その香りを忘れずに、ご自分もいい香りが残せるような、そんな人生を歩んでください。
プロフィール
家田荘子(いえだ・しょうこ)
作家、僧侶、高野山本山布教師。高野山高等学校特任講師。高校在学中より、22歳まで女優としてTV、映画などに出演。日本大学卒業後、複数の職歴を経て作家へ転身。1991年、『私を抱いてそしてキスして―エイズ患者と過ごした一年の壮絶記録』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2007年、高野山大学にて伝法灌頂を受け、僧侶となる。高野山大学大学院修士課程修了後、現在は、高野山の奥の院、または総本山金剛峯寺にて駐在(不定期)し、法話を行う。『孤独という名の生き方』『四国八十八ヵ所つなぎ遍路』など発売中。