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【片岡鶴太郎さん特別インタビュー】孤独な時間は自分との対話

【片岡鶴太郎さん特別インタビュー】孤独な時間は自分との対話

ヨガ、ボクシング、画家など、さまざまな顔を持つ片岡鶴太郎さん。今回は、人生の分岐点となった出来事や孤独の時間について、語ってくれました。

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自分で創造する

—今まさに興味を持って取り組んでいることは何ですか?

ここ数年は体を作りあげることに興味があります。ヨガの動きをしながら肉体をデザインするということです。肉体的にも、精神的にも、どう自分を作っていくのか、考えながら体を動かしています。

同時に足のつま先から頭皮まで、毛細血管の1本1本からマッサージします。筋肉をつけたり、逆にいらない部分を落としたりと、全身を彫刻していますね。

—ヨガに興味を持ったきっかけを教えてください。

はじめはヨガではなく、瞑想に興味があったんです。瞑想は、ブッダや空海、ビートルズなど、私が尊敬している方も実践していました。それを自分がやると、どのように感じるのか、体験してみたいと思いました。

ただし瞑想を行うためには、ヨガによる肉体の準備が必要でした。瞑想はヨガの8ブロックの中の最終ブロックにあたるため、ただ瞑想だけを行うわけにはいかない。そこで私は瞑想の先生からヨガへと導いていただきました。それまで自分がヨガを始めるなんて思ってもいませんでしたよ。

—ヨガを始めて何か変化はありましたか?

精神性ですね。以前は喜怒哀楽が激しく、直情的な性格でした。お酒を飲んで遊んだり、カチンと来ることがあれば言い返したり、不安なことがあればふさぎ込んだり。すごく人間臭かったですね。

今では、一切の負の感情がなくなりました。怒りや憎しみ、妬みなどの感情からは何も生まれないことに気づいたんです。

—具体的にはどのような変化でしょうか?

昔であれば怒っていることも、今では客観的な視点に立つことができています。言われたことに対して怒りの言葉ではなく、相手にどんな言葉を差し上げたらいいか、冷静な判断で考えるようになりました。攻撃的で暴力的な言動は排除して、もっと素晴らしい言葉を選ぶようになりましたね。

—お笑いをしていた頃の鶴太郎さんは今の姿を想像できますか?

想像できないでしょうね。でも不思議なもので、私が選んだ道ですが、どこか導かれているような感じはしています。

ただし、何をするでも自分で創造すること。それがあって初めて表現になると思います。自分の生き方というか、哲学というか、それらがあって初めて絵が生まれたり、俳優としての人物作りができるのだと感じています。

もっと表現したい

—ご自身の中で、人生の大きな分岐点はありますか?

ボクシングの世界へ入ったのは分岐点だったと思います。32歳でライセンスを取得することになりますが、それまでは芸人としてモノマネをし、テレビのレギュラーの仕事も9本あり、それが日常でした。その中でお笑いだけではない何かを求めるようになったんです。ただし、その頃はボクシングではなく、役者の仕事をやりたいと思っていました。

—役者の道へ進むきっかけは何だったのでしょうか?

ボクシングをはじめる前、出演したドラマが大ヒットしたことがあります。その頃から、俳優として、もっと表現したいという想いが出てきました。

しかし実際はバラエティ番組の仕事が多く、2年先まで仕事が埋まっている状態。それでも俳優としての道を切り開いていきたいから、少しずつ役者へとスライドする必要がありました。

また当時は体型もぽっちゃりしていて、いわゆるバラエティ番組の肉体。俳優としてやっていくためには、この体を一度リセットする必要がありました。そこで肉体改造のためにボクシングを始めたんです。

—肉体改造のために、なぜボクシングを選んだのですか?

ボクシングへの憧れがずっとあったからです。子どもの頃から好きで、いつかライセンスを取りたいと思っていました。でも実際は仕事が忙しく、また打ち合って顔を傷つけたりすると番組にも迷惑がかかります。だから現実的に厳しいと思っていました。

しかし32歳になったとき、当時のボクシングのプロテスト受験資格が33歳までと知りました。あと1年しかない。そのとき、俳優として体をリセットすること、そしてボクシングのライセンスを取ることが合致したわけです。これを逃したら二度とない。それからは練習を続け、なんとかライセンスを取得しました。

椿の花に魅せられて

—画家の道を志したのはいつになりますか?

38歳のときです。40歳も近くなると、私が主演したシリーズドラマも終わりました。今までやってきたことが、40歳に向けてすべてピリオドを打つ。さて、これからはどうするかなと考えるわけです。

—燃え尽きたような感覚だったのでしょうか?

ボクシングに代わる、魂が歓喜するようなものが他にあるのか。半年間ほど悶々としましたね。何かやりたいというマグマはあるけれど、火口が見つからないのです。

そんな日々のある寒い朝、ドラマのロケのために家を出て、いつもだったらすぐに迎えの車に乗るのですが、なんとなく赤い花が目に入ってきたんです。なぜか、その花に魅せられて。

それは椿の花でした。こんなに寒くて、誰も見ていないのに、椿は自分の生をまっとうしている。羨ましくも感じました。そして自分をこれだけ感動させてくれる椿を表現したい。そのとき、魂から絵という表現が出てきたんです。

—それまで絵を描いた経験はありましたか?

まったくありません。だから、魂から絵だと感じたときは自分が一番驚きました。もちろん何も知識がないので、まずは1年間ほど独学で絵を描きましたね。

それから芸術家は感動をどのように表現するのかと思い、日本画の先生から漆塗りの先生まで、さまざまな芸術家の表現を見せていただきました。使用する絵の具や紙、硯などを教えてもらい、指導されるわけではなく、先生方の技術を目の前で見る。それらを持ち帰って、自分でも同じことをやってみる。素晴らしく、そして楽しい時間でした。

孤独との時間

—なぜ椿の花がそれほどまでに心を打ったのだと思いますか?

40歳に近づくと、30代の充実した時間が終わり、引き潮のようにすべてを持っていかれる感覚がありました。そういう心のあり方だったから、椿が心に刺さったのだと思います。

—心の中に入り込むという時間は必要ですか?

孤独との時間は自分との対話ですから。この時間でしか得られないものはたくさんあるはずです。

セリフを覚える時間も、絵を描く時間も、ヨガをする時間も、すべては孤独の中での作業なんです。孤独の時間を無視するのではなく、そのときが来たら向き合うことが大切です。

プロフィール

片岡鶴太郎(かたおか・つるたろう)
お笑い芸人、俳優、画家。高校卒業後、片岡鶴八師匠に弟子入り。声帯模写で東宝名人会や浅草演芸場などに出演。テレビのバラエティ番組への出演を機に、お笑い芸人として絶大な人気を集める。1988年、ボクシングのライセンスを取得。俳優としても、ドラマや映画、演劇などで活躍。1989年、映画『異人たちとの夏』(大林宣彦監督)で第12回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。画家としては、1995年、東京にて初の個展「とんぼのように」を開催。2015年、「第十回手島右卿賞」を受賞。

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